飯盛山のはなし

飯盛山

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標高370メートル。この山の山麓部の緩斜地が、戊辰戦争のとき会津藩の白虎隊20名が自刃した地として知られる。若松城下からの白川街道(江戸街 道)滝 沢口近くに位置し、隊士の墓や厳島神社、宇賀神社、円通三匝堂(さざえ堂)がある。1868年(慶応4)正月の鳥羽・伏見の戦いに敗れた旧京都守護職の会 津藩主松平容保は、維新政府への抗戦を主張、徳川慶喜が恭順の態度を示すや、帰藩して軍事力の強化を図った。同年3月には軍制を洋式に改め、部隊を年齢別 に編成して、18~35歳を朱雀隊、36~49歳を青龍隊、50歳以上を玄武隊、そして16、7歳の少年で結成されたのが白虎隊であった。兵員数は300 余名であった。主力は朱雀、青龍で、玄武、白虎はいわば予備軍であったが、新政府軍の攻撃にあい、白虎隊も従軍。8月23日、命を受けて出撃した白虎隊士 20名が若松城北東の飯盛山で自刃して果てたのは、会津戦争の有名な哀話である。

白虎隊のお墓

白虎隊のお墓

戊辰戦争時、会津藩の少年たちで構成された白虎隊士中二番隊が、戸の口原の戦いでの奮戦空しく撤退する際、この地で鶴ヶ城周辺の武家屋敷が燃えてい るのを 落城と錯覚し、もはや帰るところもないと自刃した地です。「白虎隊十九士の墓」には、年間200万人ともいわれる観光客が訪れ、墓前には早すぎる死を悼む 香煙がたえません。

白虎隊自刃の地

白虎隊自刃の地

会津若松市が一望できる見晴らしの良い場所です。

会津さざえ堂

平面六角形の特異な建物で、概ね三層構造といえますが、内部には二重らせん構造の斜路が続き、右回りに上る斜路と左回りに下りる斜路が別々に存在 し、入口 から斜路を最上階まで上り、他者とすれ違うことなく別の斜路を降りて出口から出る事ができます。その独特な二重らせんのスロープに沿って西国三十三観音像 が安置され、参拝者はこのお堂をお参りする事で三十三観音参りができるという大変合理的なお堂です。

戸ノ口堰洞穴

飯盛山を掘りぬいて作られた会津盆地の灌漑用水路。戊辰戦争の時、白虎隊が追手から逃げる穴としてこの水路を利用したといわれています。

飯盛山マップ